9 旅人と化け物

 むかし、あるところに、大変にお観音さまを信仰している人があったど。
 その人は非常に大事な用事ができて、遠(と)かいところさ出かけんなねぐなった。
んで、なかなか忙がしい仕事であったと見えて、すぐに引っ返して来(こ)んなね。ん だげんども昔は、そんがえな、すぐ引っ返して来(こ)んなねったて、二時間、三時間 で引返して来られるもんでないんだし、しかもそれぁ野原や山や、そういうとこ さびしいどこも通って来んなね。そんで出かける前にお観音さまさお詣りして、 お観音さまから、お札を三枚ちょうだいして、懐さ入っで行ったど。道もまた細 くて悪いんだし、ほうしてどうやら早めに、まず用達しを終って帰り道になって 来たげんども、やっぱり晩方になってしまった。そうして何だか心細くなって来 たげんども、なかなか遠い道だもんだから、急いで来ても暗くなった。そうして さびしい野原さ通りかかったところが、向うから、
「旅人、ちょっこら待て」
 ていうような、哀れっぽい、いやなひびきのある呼び声に呼びとめらっだ。
「いや、困った。こりゃ、何か出たぞ、こりゃ」
 て思ったげんども、また呼び声が高く近くなった。仕方なくて、旅人はお観音 さまにおすがりする他ないと思って、お札を一枚出して、
「大山でろ!」
 て言うて、そのお札を投げ上げたところぁ、大きな山できた。この時だと思っ て旅人は一生懸命になって走って来たげんども、後から追っかけて来る化けもの みたいなものが、また丁度うしろまで来た。今にも、うしろから抑えられるよう な近くになったもんだから、旅人、またこんど、いま一枚、お観音さまのお札を 出して、
「大川でろ」
 て言うて、いま一枚、お札をなげ上げたところが、こんどはドンドンと流れる 大きな川でた。まずよかったと思って、一生懸命で急いで来たげんども、うしろ の方からその川もガホガホと漕いで、たちまちに追いかけて来た。
 こんどはまた捕まりそうになったもんだから、その旅人は仕方ないから、まず 最後の一枚と思って、こんどはいま一枚、ふところから出して、
「大火事でろ」
 て、そのお札をお空に向って投げ上げたところぁ、そこいら一面が火の海になっ た。
「いや、これは今のうちだ」
 て思って一生懸命で逃げた。そうしてしばらくたって、こっちゃ来たところが、 そこにあまり大きくないげんども、神さまを祀った祠(ほこら)があった。おそるおそる中 を見たところが、なに仕合せじなんだか、お観音さまがそこさ立ってござった。
そうしてお観音さまに、
「どうか、助けて下さい」
 ていうもんだから、お観音さまは、
「おれのうしろさ隠っでろ」
 そう言っておぐやったもんだから、喜んでそのお観音さまのうしろさ隠っだ。
ほうしてやれやれと思っていたところが、さっきの化けものが、そこの祠の前さ 来たど。こんどは、
「おお、今日はわかんねがった。まず、旅人には逃げられっし、こげなごしゃげっ どき、まず、ドブロクでも飲んで休むべ」
 て、こんどはカン鍋かけて、火など焚いて、どっから出したんだか、ドブロク あためた。そうして、そのドブロクをたちまちのうちにはぁ、飲んでしまった。
「ああ、まず、今日はこれで仕方ないから、ねるはぁ、今日は石の唐戸ぁええべ か、木の唐戸ぁええんだか」
 て言うたど。そしたらお観音さま、
「今日は石の唐戸ぁええ」
 て言うておぐやった。
「ああ、ほうか。ほんじゃ、石の唐戸さ入って…」
 て、化けものは石の唐戸さ入って、ドダンと蓋をして眠ってしまった。と、お 観音さま、
「さぁ、出てこい」
 て、おっしゃったもんだから、出てきて、そしてお観音さまの言われるとおり、 カン鍋にお湯わかして、石の唐戸の隙間から、その湯を入っでやったど。そうし たところぁ、化けものは音立てねぐなった。んで、お観音さまのおかげで助かっ たというので、「オカゲサマ」というのだど。とーびんと。
>>かっぱの硯 目次へ