弘法水

 弘法大師さまが托鉢しったときに、朝日町の八ツ沼というとこに、(こっちの端とあっちの端の端きり水無いの、真中は部落百何十軒あっけんども水無いの)に来た。(そこに明神さま建てて、大きな沼あるんだ、ぐるっと廻っど一時間かかるんだ、その沼、八ツ沼という沼だ)
 弘法大師さま、托鉢に来たどき、あるおばぁちゃんさ、「水呑ませて呉ろ」て言うたらば、「おら家で水呑ませらんね」て。ほしたれば、こっちゃ来ても、どこ廻っても呑ませねんだど。そんで錫杖で、こことここさついたら、そっから水が出たど。
 んだから八ツ沼というどこは、あっちの端とこっちの端とか水出ねて。
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 沼から落っでくる「五本樋」から、みんなもらい水だった。手洗うにも呑水も風呂水も全部かついで来たものよ。二十年までなんねべ、水道にしてからな。昔はみな五本樋から水かついだもんだ。んだから弘法大師さまは利巧な方だから、ここさは出る、こっちはなんぼしたても出ないんだと知って、水の出るどこに錫杖でつついたら、水が出たという話だ。
 ほれから、大井沢というとこは、鱒の上(の)ぼんねどこだ。大井沢さ、何(な)して鱒が上らねがというど、本道寺の発電所のとこに滝がありますね。あそこの滝が急なために、鱒は鯉とちがって滝のぼり出来ねわけだ。ほして滝のとこさ小さな魚道作ったわけだ。その時のぼった鱒はふえたこと、ふえたこと、川にあふれるほどだった。大井沢に鱒のいない伝説はこうです。
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