4 屁たれ嫁

 むかし、楢下の宿さ、女のおぼこ生まっだんだけど。おっつぁんとおかちゃんが何(なえ)て名前つけたらええがんべなぁて思って、いろいろ考えてみたげんども、仲々ええ名前が思い浮かばね。ほこで、
「お寺さまさ行って、和尚さんに名付けてもらうべはぁ」
 て言うわけで、お寺さ行ってお願いしたんだど。和尚さんがいろいろ考えっだけぁ、
「うん、そうだ。楢下で生まっでも楢下さばっかり嫁(むか)さるとは限らね。他さ行っても、いつまでもいつまでも、楢下忘れないように、おならと名付けたらどうだ」
 おっつぁんとおかちゃんが喜んで早速おならていう名前を付けたんだど。
 ところがそのおならが、おぼこん時から普通のおぼこと違って、屁の数も多いし、またドデカイ屁をたれるので、すめす(おしめ)なのいつでも吹っ飛んでしまうんだけど。ほして一発やらかすと、向い三軒両隣はむろん町内全部に聞えるようになり、だんだん成長してきたら、隣村まで聞えるようになったんだど。爆砲のように、ドガンドガンと。んだもんだから、近くでは誰ももらう人がいねんだけど。んで何とか、峠の向うの七ヶ宿辺りの山国の方へということで、いよいよ三十路(みそじ)を越してから、初むかさりで仲人に付添わっで峠を越して行ったんだど。
 家出っどき、おかちゃんに、
「ええか、向うさ行ったら屁のくせ出さないように、くれぐれも気付けるんだぞ」
 て言わっで行ったんだど。
 ほして、おならはおかちゃんに言わっだとおり、癖を出さねように我慢したんだど。んだげんども、だんだん、だんだん我慢さんねぐなって、顔の色が青ぐなってくるんだど。んと、嫁に行った先のかかはんが、おかしく思って、
「姉、この頃、お前の顔が悪れな。どこか具合でも悪れが。もし悪(わ)れんだったらお医者さんにでも見てもらったら」
 て大変心配したんだど。で、おならは、
「どこも悪れぐないっす」
 て言うてしまったんだど。
「ほんて、どこも悪れぐないか」
 て聞かっで、隠ぐさんねぐなって、
「ほだら、おら、屁出っだくなって、こたえらんねぐなったんだっすはぁ」
「なんだ、ほだごんだら、早くたっじゃらええがんべに」
「ほいつぁ、んだげんども、おら、当り前の屁だら、こだい心配しねげんども、おれの屁、ちょっと大きい、んだず。んだから青くなって我慢してんなよっす」
「何がなんでも、他のことでないから、早くたれろず」
「んだら、御免こうむります。おっつぁんは庭の臼さつかまてで呉(け)らっしゃい。かかはんは囲炉裡の当て木さつかまてて呉らっしゃい」
 て、おならがそう言うど、おっつぁんはワラジ作りやめて、その臼をすっかりと押えっだけ。かかはんはクキ菜煮していたのをやめて、当て木をぎっと押えていたけど。するどおならはモンペを脱ぎ、着物の裾をまくり、タスキを掛け、屁たれの準備にかかったんだけど。最初ススススーと柱暦が少しひらひらするくらいから、だんだん強くなって、雨戸がぶっぱずっで、蓆(むしろ)が渦巻いて飛んで行っておかちゃんは雨戸をつき抜けて、おっつぁんは厩(うまや)の廂(ひさし)のところまで吹き上げらっでしまったずま。
「やぁい、屁の口閉(た)てろ、ガスの元栓しめて呉ろ」
 て叫んだんだど。ほうしてやっと屁の嵐がおさまったんだど、そこさ息子が山から帰ってきて、この有さま見て、
「いや、何がなんでも、これぁ家さ置かんね。お前持ってきた荷物まとめろ。さぁおれが送って行んから」
 て言うて、追(ぼ)出さっだんだどはぁ。ほして金山峠にさしかがっど、そこさ大きな山梨の木があったんだど。見っど三人の木綿屋が石をぶっつけたり、パイ札投げだりして、山梨をもぐべぇと思っても、仲々もがんねんだど。そいつば見たおならが、
「なんだ。山梨ぐらい屁でもいで見せっかなぁ」
 て言うたんだど。すっど、その三人の木綿屋がごしゃえだんだど。
「人を馬鹿にすんな。なんぼなんでも屁で梨もがれるもんであんまいな」
「お前だ、もいで呉(け)ろて言うごんだらば、もいで見せっけんど、おれさ何か呉(け)んべか」
「よし来た。お前が本当(ほんて)、屁で梨もいだら、この馬三匹と、ほれから三反の木綿みなお前さ呉れる」
 て言うたんだど。そこでおならが喜んで、ほうして屁たれの準備にかかったんだど。タスキをかけて、モンペを脱ぎ、着物の裾をまぐったんだど。ほして、さっきだの残りをぶっ放したんだど。ブウーッ。だんだんつよくなって梨の木がしなって、三人の手の届くどこまで曲がって行ってしまったんだど。そこで三人は喜んでみなもぐことが出来、ほして喉をうるおしたんだど。
 ところが、馬と木綿を呉(け)る約束したこと忘っで出はって行こうとしたんだどはぁ。そうすっど、おならに、
「こら、何だ。お前だ約束なぜして呉(け)るんだ」
 て言わっだげんども、呉(け)んないたましくなって逃げて行こうとしたんだど。ほしたら、
「男のくせに約束も守んね」なて、
「ほだごんだらお山のかげまでも吹飛ばして呉んぞ」
 ほして、おならは尻向けたらば、
「これぁ、馬もろとも吹飛ばさっでは、元も子もない。呉っから勘弁して呉(け)ろ」
 て、三頭の馬と三反の木綿ともらったんだど。はいつ見てた息子が、おならば返すのが急にいたましくなったんだど。
「このあんばいだったら、川原の砂利と砂の吹き分けなの、いとも簡単だ。朝飯前にできる。家さつれで行って、ほして奥まったところに一室を造って、おならをそこさ入れて、隣近所さ迷惑のならないように、あんまり屁が大きく太くならないうちにスカスカとやらせるようにしたんだど。
 んだもんだから、部屋という言葉はそれから始まり、花嫁が来ると、まずそこに一番先に入れるんだけど。伊達の城下までおならの話が広まり、伝染病のごとく、それから日本全国にその名がひろまって、いつまでも屁のことを「おなら、おなら」て言うけど。ドンピンカラリン、スッカラリン。
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