25 木下藤吉郎と明智光秀

 むかしとんとんあったけど。
 藤吉郎もいつしか何奉行ていうて、奉行もいろいろ命じられるぐらいの地位になっていだけど。
 ある時、あまた武将集めて、織田信長、課題出した。その課題というものは、築城の課題だった。天下の築城師と言われた明智光秀に、築城の絵図を引かせてこれに文句のあるもの、弱点を見出したものはおらんか、こういう風に言うたれば、
「それがしにございます」
 て言うて、いきなり手上げた。
「おお、そうか、藤吉郎、この築城はどこに欠陥があるか」
「いや、殿、一週間お待ち下さい」
「よし、一週間の猶予を与えよう」
 て言うわけで、一週間の猶予をあたえらっで、その明智光秀がひいた絵図見たところが、何と何と、それは天下の名人と言われただけあって、非の打ちどころない。針の刺すほどの隙もない。
「これは困ったもんだ、なぜして悪れぐすれば切腹だ」
 こういう風に決心したとき、こういうこと耳にした。
「今はもう浮世を嫌って山奥さ住んでる竹中半兵衛という大学者がいる。この人がきっと明智光秀の師匠だ」ていう話を聞いて、山奥さ、取るものもとりあえず尋ねて行った。ところが、
「浮世を捨てたわしには、そんな人には用はない」
 一日・二日・三日も会わね。ところがそこに妹御がおった。そして毎日毎日同じ時刻に参上するもんだから、その熱意にほださっで、ほして藤吉郎に会った。そしてこうこう、こうだて言うたところが、
「そうか、それほどまで言うんだったらば、最後の奉公ざぁ、何だげども、その絵図を見せてもらうべ」て、
「ああ、そうか、なるほどこの築城はよく出来てる。おれはな、たった一つだけは、明智光秀に許さねどこあった。それは何だかて言うど、裏面・側面つよく、正面弱く。どなたも正面はつよいものと思って、側面・背面から攻撃しかける。ところが、私はたった一つ許さねがったのは、中央に弱点があることだ」
 そういうこと教えらっだ。そいつ聞いてガラガラ降っで来て、そして織田信長さ、
「この築城は、側面・背面はよいげんども、真正面、中央突破に一番弱くございます」
 て言うたらば、
「なるほど、よくやった」
 て、すばらしくお賞めにあずかった。ほしていよいよもって太閤秀吉となって天下をとってから酒飲むといつでも加藤清正がこういうこと言うがった。
「殿、剣術やっても学問やっても、何やっても殿はおれの片腕だけないべ。なしておれの片腕もない殿さ仕えていんなだべ」
 て、飲むとおどけて言うたそうだ。ところが太閤秀吉は、
「加藤、加藤、まぁ、おれとお前は同年同月同刻生まっでいるんだ。申年の酉刻生まっでいるんだ。申年生れの酉の刻だげんど、鶏の鳴くどこよっく見ろ、コケコッコーて言うとき、コケッという時が一番頂上で、コッコーて伸ばすときには下だ。おれがコケッというどこの頂上で生まっだから天下をとった、お前は三段目くらいだから、おれの家来になってる。んだげんども世の中にはコッコーて伸びたとき、同年同刻生まっでも、乞食してる人もいるんだ、よくよく心せよ」
 こう言うこというた。どんぴんからりん、すっからりん。
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