37 孝行息子 ― 姥捨 ―

 まいど、孝行な息子がいたったと。そしてそこの国では六十一才の年寄りは山さぶん投げて来てもよいと、そんでも是非ともぶん投げろではないげんども、まずぶん投げろと言うたもんだと。それはやはり食いものは少ないし、食いものとるだけ稼がんねし、んだから投げて来ても差支えないという規則だったと。
 そして孝行息子の親父も六十一才になった。そして六十一才になる年寄りは隣にも向うにもいた。
「何時、ぶん投げに行く」
「何時、何時、行く」
 なんて、皆一緒に背負って行った。そして木の股さはさんで来た。ほんでも親孝行な息子なもんだから、
「なじょかして、俺ばり親父を唯捨てたくない」
 と、思って、そんでも皆と一緒に帰って来たと。そんで夜の夜中に行って、親父を木さ結付(ゆつ)けたの、そっと解いて家さ背負って来て、家の板はがして家の下さ穴倉掘って、そいつさ入っで置いったと。そうしたところが、そこの殿様は御褒美くれんな考えもの出したと。その考えものの一つは、城下の城口にある大きい石の目方はどれぐらいあるか、二つには木切ったのを、元裏ないようなとこをスパッと切って、どっちが元か、裏かを当てること。それから灰でなった縄をおさめることの三つ出さったと。
 そして、そっちこっちさ、これを解いた者には、苗字を呉れっどか、二本差しにするとかという立札いっぱい立てたと。そしてみんな考えて考えて、苗字もらいたいし、すっから考えたが、とても考えらんねがったと。
 孝行息子はそっと穴倉の蓋とって聞いたと。そしたらば、
「それはな、簡単には教えらんねげんども、俺は知った。お前(にしゃ)は三杯食うもの二杯食って、俺さその御飯を食せておくもの、俺が知っただけなど、何でも教えっから、聞け」
 と、こう言うた。
「それはな。城下さ行ったとき、こうしろ。石をまず、堀があっから、そこさ行ってハンゾウを池さ浮かして、石を転ばして行って沈めてみろ。沈めてみて、何処まで沈んで行くかしるしを付けて置け。そして小さい石をつめて、家に棒秤あっから、あれで試しに目方かけてみろ。そして目方かけた石をかまわずハンゾウさ入っでみろ。そして同じ線まで沈んだ時、目方かけたのはなんぼ秤掛けたか加えてみっど、何貫目だか、きぱっと分る」
 と言うたと。
「ははァ、なるほど」
 と、思ったと。
「先ず、こいつは石を試すには今はこれ以上のことないんだ」
 その次に、
「木の元裏というものは、なんぼ真直ぐでも、元というのは何んぼか、かんぼか水さ入れっど沈むもんだ。んだから、水さ沈めてみっどええ。沈んだ方が元だ。浮いた方が裏だ」
 と、教えたと。
「灰で縄というのは、本当の灰ではなわんね。先になった縄を海の水さ一晩漬けて、そいつを乾かして、火つけて焼け。そうすっど、ソクッと持つと藁でも持つよりまだ簡単に持てる」
 その息子はその通り灰で縄なったのをもって、城下さ行って、石と木の元裏は、城の方ですんべと思って、
「灰で縄、この通りなって来た」
 ところがその次に木の元裏させらっだ。
「こっちは元であります」
 今度は石と言うたらば、石もその通り、スパッと当てだったと。そして苗字帯刀御免になった。その時、
「お前は、苗字帯刀御免ばっかりでなく、どうして考えた」
 と言わっだ。殿様に言わっでなもんだから、正直に言うたと。
「あんまり、むごさいから親父を助けて来た。俺とカカ、三杯ずつ一(ひと)がたけ食ってんなだげんど、三杯を二杯にして、一杯を親父さ食(か)せて生(い)かして置いっだ。穴倉に俺の親父は入っていた」
 と言うたと。
「ほんじゃらば、親孝行だから、親父食うだけの一人扶持の扶持くれる」
 と、二本差しと扶持までもらったったと。親孝行ざァすべきもんだと。
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