8 神さまの授け

 まいど、唐天竺に丁度、王様のような、すばらしい、何不自由なくて大旦那衆の王様いだったと。そんでも子どもはさっぱりいねがったと。子どもいねもんだから、
「俺は世の中に何一つ不足なものないげんど、一番大切な子どもはいない。こりゃ困ったもんだ。俺の死んだときに、位牌もってくれる者がいないのは、情ない」
 それからオカタさも言うたと。
「一体おぼこというものは、男が産すもんでなくて、女が産すもんだ。にしゃどう考える」
「俺もこいつには困っていた。一番の俺のお勤めはおぼこ産すごんだと思ってた。俺が一人前ないというないということは、本当に申訳ないとていた。ほんじゃれば、ここの上の鎮守さまさ、二人がおこもりでもして、お願いしたらは何とが授かるのではないか」
 と、二人は神さまさおこもりをしたと。そんで二十一日の断食をしてお願いしたと。
「子どもが授かるんだら、神のお授けとして大事にすっから、持たせておくやい」
 と言うた。そして二十一日の日見たらば、丁度その神さまの錠口にぼろ衣裳きて、賢こそうな子どもだげんども、よくよくぼろ衣裳で履物もない。かぶりものもかぶらないで子どもがいたったと。
「なるほど、お授けざぁこいつのことだ。ほんじゃこいつは俺ぁ子どもだ。にしゃ産したのだと思え、神のお授けだからお粗末してはなんね」
 と、家さつれて行って赤い着物きせて、うまいものどんどん食せて育したと。中々賢こい子どもでみんな家来の衆からも、
「神のお授けというものは、なみなみなものでないもんだな、王様」
「なして」
「この事になって、これぐらい賢こいもんはそういない」
 そしていたところが、やっかみ子が出たと。出はったところが男の子だったと。そうすっど王様は、なんぼ神のお授けでも、断食して願かけたとは言うものの、自分の子どもが出来たの見っど、自分の子どもがめんごくて、なじょかして神のお授けを殺してしまいたくなったと。そしている内に、上の子どもを舎弟もしたっていたもんだと。
 王さまも心変りしたと。向うの山の木に果物いっぱい実っていたと。舎弟の方が、
「あの果物もいで来っか」
 と言うた。
「あいつもいで来て食せろ」
 そん時だな、と王様は思ったと。子どもはそいつもぎに行ったと。その後さ、兄ばり残っていたから、手紙を書いたと。その手紙はどうだかと言うと、
「この子どもは賢こいとは世間では誉めていっけんども、心立て悪くて、俺どこ殺して王様に早くなっだいと思っているようだ。なんとかして焼き殺してもらいたい」
 という手紙だったと。
「こいつ、町の鍛冶屋さ手紙もって行け」
 と、王様は兄の方さ、やったと。行く途中に見たところが、舎弟が一生懸命で石を投(ふ)っていたげんども、さっぱり果物に当んね。そんでさっぱり?ぎようがないがったと。
「あんちゃ、あんちゃ、何処さ行ぐ」
「俺は町の鍛冶屋まで行くんだ」
「なしてや」
「手紙もってだ」
 そうすっど、舎弟は、あんちゃだれば木登りも上手だし、何も工面も上手だしすっから、
「この果物もいでけろ、その内に鍛冶屋に行ってくるから…」
 と、舎弟の方が鍛冶屋さ持って行ったと。鍛冶屋、封切って開けてみたところは、この子どもを鍛冶屋の火(ほ)所(ど)さくべて殺してもらいたいというのだったので、鍛冶屋も可哀想に思った。
「ほだて、王様言うのだから聞かねでもいらんね」
 と思って、そうかと、炭をガツガツ起して、子どもをぐいらつかんで火所さすっぽり入っでしまった。そしてフイゴどんどん吹いて焼き殺してしまったと。
 兄は舎弟の来るまでと思って?いだと。舎弟来たらば、二人分?んなねと思って、持ってだげんど、舎弟は来ねんだし、自分ばりねこねこと背負って家さ帰って来たと。
「只今、帰って来た」
 一切を王様が聞いて、
「これは困ったもんだ。んだとすっど、あの鍛冶屋は焼き殺したんだかどうなんだか」
 と、走って行ってみたと。鍛冶屋は、
「王様の言付けなもんだから、聞かねでいらんねもんだからどて、焼いてしまった。今頃は灰もなくなってしまって、この通りだ」
 と教えらっだと。
 王様は味付けたと。
「俺はこの子どもを決して粗末しないと言って育(おが)しったの、自分の子どもがたとえ出たとしても、ああいうことする、心変りしたのが俺の間違いであったと思って、兄の方を相続人にしたと。どーびんと。


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