25 角むかし

 まいど、若衆仲間で、
「おらえの家さ、ベコこあ生まっじゃ」
 別な若衆は、
「おらえの家さ、ウシこ生まっじゃえ」
「なえだ、ウシこ生まっじぁ?おらえの家さベコこ生まじゃな」
 そして若衆は、
「ほんじゃ、あんだ家のベコこ見に行って来っかなぁ」
 なんて来たと。来て見て、
「なえだ、ベコこ生まっだなんて、ウシこだでこ」
 そしたば、別の若衆行って、
「なえだ、ウシこ生まっじゃなんて、ベコこだでか」
 そして、ウシことベコこ、別だの本当だのと、うんと論してあったと。
「いやいや、おらだこげなもの、なんぼ語ったて切りぁないから、物識りじんつぁに聞いてみたらええがんべ」
 と、物識りじんつぁに聞いてみたと。
「ははぁ、ウシとベコか? ベコというものは角の下に耳はあるもんだ」
「やっぱり、ほだな。角の下に耳あっでこぁねえ」
「ウシこは耳の上に角あるもんだ」
「なるほどなあ、ウシとベコざぁ、角の下に耳あるものも、耳の上に角あるものの違いか、こりゃ」
 と、いたと。
「んじゃ、じんつぁじんつぁ、なえでも知ったから、こういうこと知ったか。駒の角ざぁ知ったか」
「うん知った、知った。俺知らねことなど何もない。駒の角ざぁ見たことある」
「何処で見たことある」
 と言うたらば、
「あれは、仙台の松島というとこある。松島は八百八島あるもんだ。そのうちに、馬放島という島あっこで。そいつはうんと大きい島で、草など萱など、牛など馬など食う草、たんとほぎてるんだっけと。塩釜神社や青葉神社さいた神馬や、仙台候がのった馬など―当り前の馬だと、殺して皮剥いで太鼓など拵(こさ)えるっだげんど―馬放島さもって行って年寄っど放して食せっだもんだ。そいつさ天の神さま降っで来て、天の神さまは二本の羽根を生(お)やして呉(け)て、一寸ぐらいの角をちょこっと生(お)やして呉(け)るもんだったと。その角をひょいとして落して行ったのを拾って削って舐めたりすっど、決して年寄んない。または決して死なない薬だったと。んだから、まいどの人は金さえもっていっど駒の角も買われるといったもんだ。それは確かに見て来たことあっから、本当のことだ」
 と言わっだけと。若衆もなえだか耳の上だと、下だとと、嘘のようだげんども、俺は確かに見て来たと言わっだもんだから、じんつぁに敗けて、
「ほだか、じんつぁ」
 と、みな感心したったと。とーびんと
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