26 洗いざらし

 まいど、越後の侍に源右ヱ門という、うんと豪傑で度胸もええし、んだげんど人さ情けもある侍だったと。世間では今、血まみれになった幽霊が墓場さ出るなんていう、
「そいつを俺は見て来んなね」
 と、いだったと。その人は、
「朝詣りなど日詣りなどと墓参りに行くげんども、俺は反対に、まるで丑満の頃にでも行ってみんべ」
 なんて、行ったと。鉦叩いて、南無阿弥陀仏とまいどは行ったもんだと。そしたところぁ、丁度入口の古い墓場どこさ行ったところぁ、額の辺りから、手などは真赤になって、足の下も血だら真赤になって、血だら真赤なオボコを抱いて、玉椿の片枝さ手かけて、オボコ抱いて立っていだっけと。そしてそこを、南無阿弥陀仏と行ったもんだから
「源左ヱ門殿、源左ヱ門殿、お願いがござり申す」
 と、幽霊が言ったと。
「なえだごんだ」と言うたらば、
「俺はな、丁度三十三年忌過ぎると、石仏になって神様になるとか何とかと、みんな言うげんども、俺は丁度三十三年前に、田植時死んだもんだから湯灌もしてもらわんねがったし、オボコも難産して死んだもんだから、取上げてもらわんねがったし、数珠ももらわねがったし、針も、五穀ももらわないでこうして来たもんだから、まだ血の池地獄にこうしていんなねごんだ。どうか、哀れだと思うごんだれば、源左ヱ門様、俺も三十三年経ったげんども、タンス・長持は七竿八竿も貰って来た俺だから、何か一品でも残っているかもしんねから、そいつをよく話して、おらえの元の親父とこから、出してもらって、家端には川がある、そこには橋が掛っている、あそこ大勢の人通るしすっから、その俺の着物を、丁度日の裏前さ、北向きにかけて、そいつさ毎日柄杓で水掛けて呉ろ、そして和尚さまに、南無阿弥陀仏と書いてもらって、その字も消えて衣裳の模様もべろっと消えるまで水掛けて呉ろ」
 と、こう言うた。そうすっど、源左ヱ門様は、「あまりええ」と。「ほんじゃ、みんな魂消ているから、今度はお前は出ないようにしろ。俺は確かにそうして呉(け)る」
 と、次の日来て話して、衣裳もかけて、水掛けてもらって、それからさっぱり幽霊出ないがったと。んだから死んだ時ざぁ、することはして呉(け)らんなねもんだと。どーびんと。
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