37 苗字じじい

「苗字のごんだれば、俺に聞け」なんて、なんでも苗字のことなど知ったじんつぁいたったと。
そんである時、
「 〝薬袋″と書いた苗字知ってっか」
「 〝薬袋″と書いた薬袋だべ」
「いやいや、馬鹿つかして、薬袋と書いてミナイと読むもんだ」
 と、こう言うたと。
「これはな、まいど、武田信玄という人がいだった。その人は山さ兎狩りなど、鹿狩りなど、熊狩りなど好きで、時々行くがったと」
 そして、いつでも薬袋というのを腰さ下げて馬さのって大いそぎで行ったもんだから、途中さ落して行ったと。そいつをな。そしたら、三人の百姓がそこを通って、
「なえだ、こんがえ、ええ揉皮の袋、たしか武田信玄様のだべ、これぁ今日は狩に行ったんだから後追っかけて」
 と、三人でそいつを持(たが)って行ったと。そして、
「武田様、お前のこれは薬袋でないが」
 と言うたら、「ほだ」と、こう言うた。そして、
「よくお前だ、親切に拾って呉(け)た。お前だ今日から、苗字をくれて、帯刀にして、一人扶持を呉れる。こんどは侍の子分だ」
 と、こう言うたと。そんで、
「こいつは薬袋じだ。中を見たか」
 と言うた。
「拾ったばっかりで中は見ない」
 と言うたと。
「ほんじゃ、薬袋と書いて、ミナイという苗字でよかろう」
 と言わっで、ミナイ家というのがあるのだと。
 それからな、いま一つ教えっかな。
「そいつは何だかと言うと、鬼頭という字で、オニカシラとも、オニコウベなても言う。キトウなても言う苗字の訳はな…」
 豊臣秀吉が大阪城を築くとき、あそこに勘定のええ石を尋ねて来るには、四国の海端にあったと。そいつを持って来るには、唯の舟などに積んで来らんねもんだから、酒桶の何倍もあるような桶を結(ゆ)って、そいつさ石を入っで、ずうっとみんなで小舟で率いて来たもんだと。そしてその石を上げんには、大体八人ぐらいでやっとすっと上げんなねのが普通だったと。そして一ぺんが八人でとても動くも動かねような大きな石だったと。そしたれば、そん時稼ぎ来った人で、そいつは豪傑な人いて、たった一人で、その桶さ入って、石を持(たが)って、うんと岸さ、ぶん投げてよこしたと。そしたれば、秀吉様よろこんで、
「大抵八人力あれば鬼というもんだ。そんで八人でも動かさんね石を、一人でぶん投げたと言うごんだら、鬼頭ちゅうだ」
 と。そん時から鬼頭ちゅう苗字もらったんだと。どーびんと。

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