45 神様じじいむかし

 うんとまいど、信州信濃の善光寺の奥の院あたりに、うんと岩がんけつで、でこぼこと穴だらけの山あったと。その村では六十になると老人をそこさ背負って行って木の股さ、はさんで投げて来るがったと。そこの村に六十になんね、うんと物の分ったじんつぁ居たったと。そのじんつぁ、こう考えたと。
「死んで仏には蝿もウジもなるもんだ。俺は人間だもの、うんと昔、お釈迦さまは『即身成仏』と言うたもんだそうだ。また唐の天台山の和尚様は〝生命長くして恥多し″と言うたそうだ。考えて見っど七十七の年祝いだの、八十八の年祝いだの、みんな喜んでいっけんど、俺ぁさっぱり嬉しくない。俺の願いは千年も万年も生きるごんだと思ったげんど。そして息子さ、
「俺ぁ食うだけも稼がんねえし、一日一日みぐあしくなるし、また若い内に考えたことは何でもしたし、明日からは奥の院の唐戸岩の洞穴の底さ白胡麻、一寸枡炊って、ガンモンと数珠と経典と穴の口端におく節の抜いた竹棒とを持って俺ぁ行くはぁ」
 と言うたと。そして、
「あんだだ来て、竹棒に耳を当てて、鉦の音すっこんだら、生きていると思えば、ええし、白胡麻一粒宛食っているのだからな。生きている内は仏だごて。音がサッパリしなくなったら天竺の神様の弟子になって、春は水の神、火の神、夏は作神、秋おそくから冬の山の神になりたいと思っている。にしゃだ、何か聞きたいことがあったら、芦棒でも竹棒でもええから、穴に突込んで、何に聞きたいというて、棒の先きに耳をあてて聞いていることだ。何でも教えっこで」
 と言うて、奥の院さ行ったげ。それからみんなで山の神・お田の神・お水神さま・作神さま・火の神さまなどだごて。お詣りしっかと、今も鉦の音・お経など聞えるようだと。千年も万年も生きるということは、そういうことだと。とーびんと。
>>とーびんと 工藤六兵衛翁の昔話(四) 目次へ