4 コレラ流行・白髭明神参詣

 衛生のまだ発達しなかった明治時代は一朝伝染病でも発生すると惨たるものであった。急激なコレラにでも発生されれば一家全滅の悲運も珍らしいことではなかった。明治初年コレラ発生のときは平左ヱ門さんの妻が小野川へ湯治に行ってコレラにかかり露藤へ送られて死去し、またそれを背おうて来た孫右ヱ門さんの叔父も伝染して死去した。露藤ではむかしから伝染病は発生しても伝染はしないといわれているが、他村などは目も当てられぬ悲惨なものは沢山あった。
 その後また流行したことがあったが、三つの鳥居をくぐり神社に参詣すると伝染しないというので、白髭神社はお祭りのような参詣であった。その当時お堂番をしていたのが平兵ヱさんの孫八さん、連日盆の上に山のように賽銭が上がったという。米沢方面私領方面から五人・七人として参詣に来たと伝えられる。孫八さんは冬になると路ぶみをして道をつけた。堂の雪おろしも同人がしたという。
(露藤)
>>つゆふじの伝説 目次へ