9 白髭明神のこと

 もと、白髭明神には百二十間の参道があり、その広場は往時は馬つなぎ場であったと伝えられる。上杉時代にも藩主の寄依厚く、いろいろの寄進物もあったといわれている。また騎馬の武士は社前をのりこすことは禁じられ、下馬して通ったという。また参道両側のうっそうとして茂った巨杉はそのむかし、氏子四人の寄進によったものと伝えられる。曰く、近野丹波守安部主殿之介、内記塩野目平兵衛という。明治十三年四カ村紛擾のとき、露藤村対三カ村の争いとなり、露藤村また金に窮し、明神の杉を競売にしたとき、安部三九郎さんが一千五十円で落札した。本堂前の杉は杉樹中の横綱といわれ、直径六尺、樹齢五百余年と称せられた。そのもっとも巨杉は径五尺枝下十八軒両もの十八を取ったと伝えられる。当時のこととて、用材に用うべきもなく、木羽箸木をとったという。神前の石灯篭は明和五年、近野孫兵衛さんが本領主で寄進したものと伝えらる。
(露藤)
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