114 江戸粂のこと

 露藤村彦左ヱ門さんに粂八という者がおった。中々才智あり、学問もあり田舎としては珍らしい人であった。俳諧もよくしたという。米沢藩の家士と往来し、また江戸へも折々登った。人々は江戸粂のあだ名がついた。江戸角力の秀の山が来たとき同人が五輪窪の萩野に角力場をしつらえ、三日間の興行したことあるという。同人の弟群蔵は名平の後継となり、末弟又蔵は又右ヱ門に聟養子となったという。子がなく清兵衛さんから養女おせんさんをもらった。更に聟を私領の江股からもらった。彦総さんがそれである。彦総しげく江股へ行くとて、粂八さん、
   江股ばりよい股と思うなよ おせんの股も江股なりけり
(露藤)
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