23 戸蔭神社

 船橋の戸蔭神社は船橋部落の西方山崎部落の近いところにある。その昔は昼なお暗い、婦女子などは昼すら参詣に行くに淋しい場所であったという。その老杉に篭灯が下っていたことがあると伝えられる。この戸蔭神社を人言うに「盗人神」といった。
 むかし、どこから来たのか数人の盗賊来たり、この社にたてこもり、附近の部落を荒した。部落の人々は枕を高くして寝ることができず、領主に願ってこの賊を平定してもらうべく願った。領主は早速兵をさし向けてこの社をとりかこみ、残らず殺そうとしたが、社はしんとして人の気配はない。
 一同は槍・刀をもって近付いて行ったが一人の賊もいなかった。これはきっと神さまの仕業だと、誰言うとなく「盗人神」というようになった。
 祭神はタチカラヲノミコトで春日神社ともいう。船橋の鎮守として崇敬されており、寛政年間の上杉藩の調査では絵馬に「盗人神」と記されているという。屋代霊現記には、
「弥三郎装束立派に改め、日の暮れるを待って宿を立ち、夜中に広き野にかかり、横一里竪二里余の原あり、富士の裾野に異ならずとて、富士野という。ここを通りしに松楢長くのび茂りたるところに祠堂あり、春日大明神を勧請したる社あり、この木立に山賊、昼は乞食と見せて飯を炊き篭り居(今俗呼んで盗人神という)夫より二三丁ほど往て格子ガ岳を源にして四和田より落込んだ川あり、拾余間の橋あり、以前は船にて渡りしが舟橋という村あり、和田川という。(俗におっかな橋)」
 また、待定法師伝に曰く、
「一本柳村、渡会十郎左ヱ門家来六十二人、戸蔭神社にたてこもり、軍用金を集めんとて、悪事の数々をなして諸人をなやましける」
 と。
 本尊は九頭竜神を祀ったとも伝えられる。この附近には念仏沼という神秘な池もある。当時池辺に立てば、念仏の音は沼の底から聞えてくると伝えられ、また沼の底から古色ゆかしい地蔵尊を掘り起したこともあるという。
(船橋)
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