29 川原子地蔵尊

 秋の山を染むる血潮の紅葉草咲ける花萩紫の色とりどりに辿り行く。道も細屋を過ぎぬれば流れも清き本宮の川瀬に架せる細屋橋渡りて着きし川原子の地蔵尊そもそも当地蔵尊は勝軍地蔵尊にましまして、そのむかし慶長の頃左京太夫伊達政宗が米沢領和田の郷は直江山城守の居城に程遠からず、ことに境域の関門なきを幸として茂庭の山道より攻め入りて、一挙に米沢を討ちとらんと相謀りて各郷の梨子、茂庭の岩見、屋代の勘解由等三人をして和田の住人次郎右ヱ門宅に至り利を以って味方に引入れようと進めしが、兼ねて和田の郷士安部金七と相通じ之を道に相擁して打ち果さんと誓う。しかるに右の者等いずれも猛勇にして強勢なるを恐れ、若し万一打ち洩しなば千載の恥辱と日頃信仰する勝軍地蔵尊に祈誓を込め、首尾よく勝利を得たりという。それ以来屋敷の一隅にささやかな一堂宇を建立して崇め奉り、今に至る。何時の頃よりか当地蔵尊に祈願を誓いなば、腰下部の疾病速やかに癒えんと。
(和田)
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