74 入生田たからの狐

 今から百年ばかり前のこと、入生田の高橋又右ヱ門さんの流し場に狐は巣をこしらえた。家では狐の名を「トカ」と呼んだ。それは女の狐であった。間もなく子狐を生んだ。ある夜のこと、又右ヱ門さんの妻は夢を見た。「おれはたからの清水だが、おれのつれあいは狩人(井上兵助さんの父)に殺されてしまった。自分もいつ殺されるか知れぬ。で子どもを育てる内、お宅の縁の下を貸してもらいたい」と。この夢は両三夜に及んだ。間もなく子を産んだのであった。夢の話をしたら、家内の人々は可哀そうな事よと、わけて可愛がってあつかったのであった。
 飯を運んでやった時々油揚など買って食わせた。狐の子は人になついて犬の子のように人に親しんだ。家人は用達しなど行くと、前になり後になりついて歩く。ある日のこと、又右ヱ門、中屋敷の惣右ヱ門さんに用達しに行ったら、いつもの通りついて行く。そして家人と親しんで遊んで居った。こうして帰ろうともしないので、そのままにして帰って、翌日心配だから又右ヱ門さんは惣右ヱ門さん方を訪ねたら、トカはおった。帰ろうともせんので「トカよ、こちらの家にはうまいものはないんだから帰り」というたら、よく聞き分けて、一緒に帰った。こうした又右ヱ門さん一家のものに育てられて大きくなった。
 ある夜のこと、夢に一人の女は枕元に立った。「長い間心配になったが、子どもも大きくなりました。で元の巣にかえります。途中狩人に会うのがおそろしいので送ってもらいたい」と。かくて夢はさめた。女もいなかった。家人は油揚などを持ってトカを送って福沢堰付近まで送って行った。こうしてめんどう見た狐親子は長年生きておった。折々は同家を訪れてそれとなく守護した。
 そのうち平内さん死去して三枚床の墓地に埋まったが、その夜の中に棺を掘り起こして死骸をいずくへか運んでしまったが、これは狐の仕業だと人々は言いあった。
(入生田)
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