8 安達ヶ原の鬼婆

 のんべにそこ通るとき、追剥に会った りして、夜など通らんねどこだったそう だ。
 そしてあるとき、どこから来たなだっ たか、妊 (はら) んでで、あそこの峠明るいうち に通るべと思ったげんども、さしかかっ たら暗くなったど。そしてこんどは仕方 ないんだし、そういうこともよくと知ら ねんだし、あそこの向うに明りあっどこ さ行って、今晩一晩げ泊めてもらった 方ぁいいなと思って、
「今晩、どうか泊めて呉 (く) ろ」
 というたところが、
「あまりええどこでない」
 と、婆さま一人いだったけど。そした げんどなんだか、おかしげな婆さまだ。 それからこんどは泊り、そのうちに夜、 腹病 (や) みしたごんだど。その女がよ。
「ここらに医者はいたか」
 といううちに、
「この峠下 (した) ささがって行くと、医者い た」
 といわっで、
「ほんじゃらば、行って来 (く) っから…」
 といって行くべとしたけど。途中で、 まずあの婆さまのとこさ置いて行くも、 何だか気味ぁわるいような気持で、帰っ て来てのぞくびしてみっだそうだ。そう したところが、その殺して腹から子ども 取っていたとこ見つけたごんだど。
 その婆さまは貞任・宗任の乳母だった という話だど。その軍用金をとって、貞 任・宗任どこさあずけっだったという話 だな。どっちだったか病気しったので、 妊んでいたその者の胆とって食せっど治 るなんて筮 (さん) おいてもらったら、言わっだ の聞いて、そしてさいわいだと思って、 子ども産 (な) すようになっていたのの、腹 切ったのだそうだな。そしてあわてて叫 んで逃げ出したわけだな。そしたら、
「生かしておかんね」
 というもんで、髪はざんざらとして、 鬼婆になって追いかけらっだど。そうし たところが何処からともなく、鬼さ毒矢 当ったごんだどもな。どっから来たもん だか、神さまというもんだごでな。そし て鬼は死んで、そこさ杉の木一本建てて、 そこを「鬼怐vというようになったど。
(海老名ちゃう)
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