子どもの呪文唄

 子どもが滑ったり転んだりして痛くすると、「ここは弁慶も泣いたところだ、強いさげ我慢我慢」と、呪文唱えて、プーッと息を吹きかけてやる。暗示にかかって、動転した気が静まってくる。


○ 綾ァちゅうちゅう 錦さらさら ごようのお宝もって参れば チチンプンパラリン 痛いどご 向山のでぐさ飛んで行け プーッ

 これでも痛みがとれないというとき、
○ のーまぐ さんまんだ ばさらんだ べえだまっか まかろうしゃ
  金銀の鎧をつけて 八叉の剣を持って アブランケソワカ
    (経文、阿毘羅吽欠婆姿詞の転訛)

 もし、瘤がはれたりすると、
○ 腫れらば腫れろ 柿の木ほど腫れろ すびらばすびろ 井戸ほどすひろ
  アブランケソワカ

 軽いうちみやすり傷だったら指に唾をつけてこするとなおるが、いったん血を見ると、どうしても気の弱くなるのが人情で、その時は次の呪文で大型の草の葉を八折りにして傷に当て、手拭をさいてでも包帯する。
○ 子の血の道 父と母と 母の血の道 子の血を止める 父の血の道
  アブランケソワカ
○ 父と母との血の道を 命も止る血の道の神 アブランケソワカ

 昔、囲炉裏に絶さず薪をもやしていた頃は、トラコーマが雪国の風土病とされた。患らって目縁を赤くただらせている子は、「赤目メョ」とか「メッケ」とか言って冷(ひ)やかされ、気の毒に、遊び仲間からも敬遠される。
○ メッケ ツッツ おれちゃ感染(うつ)んな ツッ ツッ ツー
 三度唾を吐きかけて疫病神を祓ってからでないと、仲間にまぜてくれない。もしかかった時には「メッケ追い」という呪いをする。これは赤飯を炊いて、おぼこ形に握り、まぶたをこすった穴あき銭と一緒にサンダワラにのせ、それに芋殻の箸を一本そえて、部落端れの人形立て場に納めてくる。箸は橋にも通じ、それを渡って、メッケは消えてしまえと祈る。
○ メッケ メッケ この一本はし渡って つん抜げろ つん抜げろ

 初霰が降ると、それを直接手に受けるか、大きな木の葉に溜った汚れのないところを取って、まぶたをこすって呪文をいう。
○ 初霰こ おれァ目 良(え)ぐしてくろ ほえども殿様も 出んなよ 出んなよ
 下まぶたにできたものもらいが、ほえどで、上まぶたに出来るのが殿様とちゃかす。また名月も目の神と崇め、小正月の十五日の晩、往還の辻に自分の年の数だけの雪玉をにぎって供え、灯明しめして「あどさまあどさま、おれァ目、良ぐして呉ろ」と祈願する習いもある。
 目の中にゴミが入ると、目玉より大きい物がゴロゴロしてるような感じで切ないものである。目のゴミはこすらないで涙で流せ― といえから、近くに乳飲子を持つ母親がいれば、目の中に母乳をしぼり、洗眼してもらうのが一番であるが、呪文はいつでも手近かである。
○ 眼(がん)の眼(まなぐ)さ ごみ入った えごいぞ えごいぞ 地蔵さま取って呉ろ
  ツーツーツー(唾を吐き捨てる)
○ おれァ目さ ごみ入った 東の角に門を立てて 十や二十や
  蘭じや あららぎ 取ってたもれや アブランケソワカ フーフー

 味噌ッ歯が抜けたら早くよい永久歯が生えるようにと祈って、下歯だったら屋根の上に、上歯なら床下に放り投げる。
○ 茄子ッ歯 くぬぐり歯 おれァ歯まだ鬼の歯より早ぐ生えろ
 茄子の早漬をたくさん食べると、白い歯が黒く塗る。そんな状態をたとえて、味噌ッ歯を茄子ッ歯という。どうかしてカクカクリ動くと、糸で囲炉裏の灰ならしを結び、分銅にしてゆり動かすうち痛みも知らず抜けてくる。だが虫歯が痛み だしたら泣きの涙で、そんな悠長なことではおさまらない。
○ 天竺の権 河原の柳虫 葉食っても 根ば食うな アブランケソワカ
 昔は梅干のシソの葉を頬に貼ったり、燕の糞を詰めるとよいとか、あるいはボンノクボの毛を三本抜いて、紙に包み、屋敷の梨の木に結んで下げるという伝えもあった。後にはよくヨーチンを塗ったり、正露丸や仁丹、あるいは化学調味料など、虫喰穴につめ込んで急場しのぎにする。

 幼児が癇がさすと、ボンノクボとこめかみ、それに小鼻の付け根に、キセルから脂(やに)をとってつけてやる。さらには子どもの中指の先のひらに塗り、その指を内に曲げて掌に接触させる。じっと透かしてみると、ふしぎなことに、繊細な糸状のものが指先や関節から、フワフワ抜け出してくるのがわかる。これが癇の虫だという。
 癇がこうじると、やたらと鼻水や涎が出て、口のまわりをなめまわして唇と見さかいつかないほど、赤くただれさせる子がいる。鼻の下をなめるのが「なめ癇」で、下あごのあたりまで濡しているのが「ベロ癇」である。スポンジ状のカマキリの巣をみつけたら、それをとって、口のまわりをなでつけると治療にも予防にもなるという。そのとき唱える呪文である。

 大人になっても傷跡が残るほど、子どもの頃はよく瘡になやまされる。瘡の出るのは白山さまの息のかかった草木にふれた罰だと言って、赤飯を炊いて、芋殻の箸を供えて白山神社にお詣りする。
 瘡は蛭に悪血を吸いとらせるのが一番であるが、年中蛭を用意するのは難しい。ウミを出す時に剃刀のような刃物を手にもって、患部を切っ払う素ぶりで呪文をかければ、瘡はウミのみか核までしぼりとれて、後続を絶てる。
○ 天竺の権河原の根無草 水もない 土もない なぜ生えた
  根を切れ 葉を切れ アブランケソワカ
○ 切って切って 切っ放せ もと切って うら枯れるように アブランケソワカ

 喉に魚の小骨をさした時は、呪文唱えて象牙の箸で喉肌をなでつけるか、生飯を噛まないで、大口に呑みこむと棘は容易にとれる。
○ 天竺の権河原に水絶えて 鵜喉を通して 米のたえ骨通して アブランケアブランケ アブランケ
○ 天竺の五条河原の渡し舟 返せ戻せ 鵜喉通せ アブランケソワカ
○ 薬師の前の祓い河 掃き込め 掃き返せ 掃き込め 掃き返せ アブランケソワカ
○ 左(左右どちらか刺された方)薬師 オンコロコロ千成り 後返し アブランケソワカ

 昔、子どもはぐみの実や木通の実を種子も吐き出さないで、むさぼり食って糞詰りに悩まされた。そんな時の呪文である。
○ この大川の奥に、十艘の舟あり 一艘残して九艘下る アブランケソワカ
 夜糞のくせをなおしたい時は、土間に臼を伏せて、そのまわりを呪文となえて、三度まわる。
○ 夜糞の別当どの これがらばばたれは 夜中に行がなえで 昼間行ぐよに アブランケソワカ
 腹をこわした時は「逆唄」のような次の呪文を使う。これは風邪でも何にでも効くという万病薬みたいなもの。
○ 頂上の奥山のホラの貝と 夏降る雪の黒焼き 蚤虱の肋骨 煎じて呑めばなおる アブランケソワカ

 年寄の添寝で育つ子は、子守唄がわりによく火難盗難除けの呪文をきかされ、早口唄のように調子がよいので、小耳にはさんで覚える。就寝の時にこれを唱えると「怪」におなされないともいう。
○ 寝るぞ根太 頼むぞ垂木 梁も聴け なんぞの時は起せ唐紙 アブランケソワカ
○ 寝るぞ根太 頼むぞ垂木 さし柱 何事あらば起せ胸板 アブランケソワカ
○ 氷(しが)の柱に雪の桁 雨の垂木 露のふき草 アブランケソワカ

 物を大切にしまい過ぎても置き忘れることがある。忘失物などを探す時、
○ ここに出で給えしや 失せたる○○○ 音羽の滝の水 失せることも見出かなわん
○ 西行の麻の衣を縫うたびに 失せたる針の出ぬことなし
 西行の方は縫針を見失った時の呪文で、これで発見できればよいが、さもないと、誰が誤って怪我するようなことがあっては大変である。どうか大事ないようにと祈って唱えるのが次の呪文である。
○ 清水の音羽の滝に針失せて 失せたる針は 見出でかのわぬ
 女の子が針を手にするようになると、きっと教わることである。また糸をこぐらせたのを解くとき、次の呪文で糸口をさがす。男の子とて凧糸をいじるから、よく覚えておく。
○ シャシャム シャシャ ムシャシャの中のシャシャム シャシャ シャシャムシャなければ しょうがなし

 墓地の近くとか、人形立て場とかいう曰くつきの淋しい所に、道連れもなくさしかかると、泣き出したくなる。また日暮れに大人たちの夜上りを待って独りで留守番するのも、やるせないもので、そんな時に勇気がわいてくる呪文がある。
○ のーまくさんまんだー ばらさんだー えーだーまーだー まがらさんだー どーかんまん
 道路で見知らぬ犬と出会っても、たとえどこかの飼犬であろうと、気味わるいもので、敵愾心を示さず、素知らぬふりで行きすごせ。あるいは犬の目から視線をそらすな、など心構えは人さまざまであるけれど、落着いて呪文を三度唱えた ら、どんな猛犬でも犬の方から避けて行くから恐くない。
○ 大阪の坂の坂 中の節なし犬 アブランケソワカ
○ 戌、亥、子、丑、寅―(戌から始めて寅で止め、三度唱える)

 山や野をかけめぐる子供たちの履物は、まだゴム靴やズック靴の出ない昔は、素足に草履か足半を履くしかない。それでも鼻緒に赤い布をつけるのは蝮除けの呪文である。蛇をこわがる人は性分で、大人になっても山に入る時、蛇呪かけるのを忘れない用心ぶりである。
○ この先に大柄虫がいたならば 山鳥姫にきかせるぞ アブランケソワカ
○ この薮に大柄虫がいたならば 早や避(よ)けろや わしは新地嘉門殿の家来なり アブランケソワカ
○ 長虫長虫 千萱峠のかぎ蕨の恩ば忘れんな アブランケソワカ

 養蚕農家では、蛇を敬って蛇を呼ぶことを禁忌して、長虫とか大柄虫といっていた。山鳥は蛇にとって強敵で、抱卵中に蛇がおそうとわざと逃げないで体に捲きつかせてから、急に翼をひろげて蛇体をのびさせてしまうという。
 またある時、蛇が春の陽を浴びて、うとうとしていると、地表に新芽をのぞかせた千萱(ちがや)に胴体をさされてしまった。それがなかなか抜けないで弱っていたのを、蕨が下から蛇体を押し上げて助けてくれたという蛇の伝説から、蕨を一本手折って身につけて山に入ると、蛇の難は絶対にさけられるというのである。
 漆に負けるアレルギー質の子は、漆の木にふれた指で肌にさわると、ところかまわず気ぶれて大騒ぎする。木に直接ふれないでも近づいただけで、目が見えなくなるほど顔をはらす子もいる。漆と気付いたら、すぐ呪文を唱えること。それでも気ふれた時は、沢蟹をとってつぶして液をぬると即効がある。
○ 親なら負げでも 漆にや負げねぇ アブランケソワカ
 男の子は蜂の巣を発見すると、にわかに強くなる。何でこれしき退治しないでおくべきかと。まず特攻隊は蜂にさされない呪文をかけて勇しく巣に立ち向う。
○ 大麦 小麦 二斗八升 臼で八升 箕で八升 蜂の羽根ぶっかげろ アブランケソワカ
 呪文の効目なくさされたら歯糞をとってつけるか、小便をつければはれないという。一方、直接手を下さない組もそば杖を食わないようにと、
○ 寄っつかねぇば くっつかねぇ アブランケソワカ
 これは蛭除にも使う。田圃や小沼に田螺拾いや小魚すくいに入った時、吸いつかれる。蛭はしつこく腹一杯血を吸わないと離れないが、手に泥をつけてこすると、呪文が効いてポトリ。大人でも蛭の多い湿田で働く時は、この秘伝にすがる人が多い。

 雪の山村は雪崩がこわい。遠い道のりを通学する子ども達は、積雪がしまり出すと、近道をかけたがるので、どうしても、わかば(表層なだれ)の危険がでてくる。季節がくると大人達は口をすっぱくして注意するので、学校に上がるような子は、誰でも雪崩呪文の一つは身につけていた。
○ 天竺の権河原のしまり雪 しばし止まれや アブランケソワカ
○ 藤づるの入ったかんじき履えったぞ アブランケソワカ
○オンアボケヤー ベーローシャー マガモグラ マハニンノーマー
 ジンバラハラ ハリタヤウン
○ 戌、亥、子、丑、寅
 恐い犬をおだめる呪文でもあるが、わかばのいそうな場所に近づくと、歩を止めて大声で三度唱える。しばらく様子を見て、まわりの雪に何の変化もなかったら青信号である。

 地震と雷はこわい天災として避難の仕方をしつける。地震が訪れたら、堆肥塚(こえづか)に上れ。あるいは竹やぶに逃げろという。さいわいというが地震はめったに経験しなかった。でも子ども同志でコタツの布団の奪い合いがもとで、櫓をひっくり返したりすると、よく「地震バラバラ」と唱えた。どんな遊びでもふざけっこがこうじて乱暴になると落ちは、「地震バラバラ」である。バラバラは崩かいの状態を言ったもので、呪文ではなさそう。
    夏の夕立 良(え)ぇかっか 雲の間の稲光 かっか 蚊蛄つり線香立て
    おへそかくせ トンチンチンと かかトチレ なんとかか アーかか
    えー かかえ
 裸ン坊に着物を着せようとする時の子守りのあやし唄で、幼児語で「かっか」と「かか」が母親と着物と同じ意味で、こんがらかるところが味噌である。雷が鳴ったら早いところ蚊帖に入って線香を立て、着物を着てるのが一番の安全というのである。
 屋外で雷にあった時は、大樹の下にだけは雨宿りしてはいけないと、固くしつけられる。大木の多い鎮守の森で遊んでいて、ピカリゴロゴロと来ると、どんなに面白く遊んでいても、一目散かけて帰る。途中で雷の大きらいだという桑の木を見つけると小枝を切り、頭にかざして、
    カンバラ カンバラ
と唱えながら逃げる。カンバラはクワンバラで「桑原」の訛りである。
    愛(いと)し殿ごの穂前田が割れた 四角三角十文字に割れた
    女ながらも雷さまよ 天にゴロゴロ下にはバタリ落ちないように
    年寄動転させないよに 子どものへそ抜がないように
    鳴ってくられや 雷さまや
 あげてまりで遊んだ頃の昔てまり唄である。類歌では他所に雨乞いの唄と伝えられるものもあり、また歌詞の中に避雷の呪文らしくとれる節も見受けるが、この地では雷はもっぱら落雷が捕ったときの約束という「桑原桑原」でしずめてきたようである。


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