61 童子切りの名刀

 むかしむかし、日本には三名刀て言わっだ童子切り、酒呑童子ば切った童子切りて言わっだ名刀の由来について。
 むかしむかし、大江山さ酒呑童子ていう鬼がいて、民、百姓、いろいろ苦しめらっだ。はいつ退治に行ったは、一に頼光、二に渡辺、三に貞光、四に季武、五に宝生、六に金時ていうえらい侍共がこの手下をつれて、ほして大江山さ酒呑童子を退治に行った。ほしてまともな勝負では中々うまくないて言うて、山伏に化けて酒背負って酒呑ませて、そして夜、酒呑童子の寝っだどこさ行って、酒呑童子の首はねたわけだ。ところが頼光のカブトさ、いきなりかぶついた。それをまたはらって、ほして意気ようようと引上げてきた。一躍鬼の首切ったていうので童子切りていう刀が有名になったわけだ。
 どうして渡ったのか、それが斎藤道三の手に渡って、ほれから織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、こういう風に渡りに渡って、それから、杳として消息がわからねがった。たまたま日露戦争のときに、乃木大将が出征すっどき、乃木大将さ当時中将であったげんども、贈った人がいた。て、その刀は何刀だかわからねくて、乃木大将がそれを頂戴して行って、日露戦争が終って、そして凱旋してきた。あまりコッコウダイ、リョジュンの戦いで部下を殺したていうので、死んでお詫びするていうたところが、明治大帝から、
「いや、お前の死はあずかりだ」
 て、こういう風に()っで、ほしていだったが、たまたま明治大帝も御甍去あらせられた。そのとき辞世の句を残して、
  うつし世を神さりましし大君の
  みやとしたいて我は行くなり
 て、残して自刃して、静子夫人と共に果てたわけだ。その自刃した刀がやっぱり童子切りだったど。どんぴんからりん、すっからりん。
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