27 娘に意見

 年寄りじじい、いたな、オカタ早く死んでじじばり中風になって、七年も寝っだじんつぁいたったと。近所なもんだから、
「おらえのおとっつぁま、なじょなんだかなぁ」
 と、時々看病に来っかったと。そんである時、その娘は、
「おとっつぁ、今日はなじょだ」
「変りなしというもんだ」
「おらえの嫁あねさ、今日はいねなが?」
 と聞いたと。そうすっじど、じさまは、
「さっきまでそこらに何かしてたようだげんども、今、どさか出はって行ったんだか、いねのだな、こりゃ」
「ほんじゃ、嫁あねさいねごんだれば、俺は語っけんどもよ、おとっつあ」
「なんだ」
「いや、世間ではこっちの家の嫁あねさは、あんまり、おとっつぁ長病なもんだから、扱い悪いという話はうんとある。俺も時々来てみっど、そういう感じがする。おとっつぁ、なじょかして、あいつ、ピリッと教えたらええんねが」
 そうしたところぁ、親父は、
「何馬鹿つかす。お前はおらえの人でない。嫁はもらってから、おらえの娘と同様に考えているのだ。ほんで、ニシャ嫁に行くときだっても、俺どさもお暇(いとま)して行ったんだし、先祖代々の位牌さもお暇して線香つけて行ったんだも、他人(ひと)の家さ来て、そつけな余計なこと言うな。馬鹿ばりつかして。俺は常へいぜい考えていたことは、ばばもいないのさ、七年も、食うことでも着物の始末でも、有りだけ嫁にしてもらっている。そんで扱い悪いなんていうごんだれば、俺よか後に中風になった若い人でも死んだ人いっぱいいた。俺はこの上ない扱いしてもらっていっから、こがえ長く生きてる。生きてるばり能であんまいげんど、生きていられっど思ってたごんで、二年とか三年で死んでしまうのだから、死ぬときは、最後の水もらうのは、俺の嫁だし、俺ぁ死んだ後だって、そこら始末したり、何かに世話してくれんのも、おらえの嫁だ。にしゃ、他人の家さ行ったんだもの、関係ない。馬鹿なことつかすもんでない」
 と、したたか親父に怒らったと。
「にしゃ、両親、まめでいるげんども、ひょっとして中風になの、なんねざぁない。その他に二人とか三人、妹どら(共)呉(け)てやったなもいるんだ。もしそんなこと言わっで、なじょな気する?早く家さ行くんだはぁ」
 と、見舞いに来たもの、親父に、ねっからかっちゃまくり(反対)に怒らっだと。そうすっど、
「おとっつぁま言うこと一切わかった。ほんでは行くからはぁ。大事にしてなぁ」
 と行ってしまったと。そしたところぁ、ガタガタと襖など開ける音する。なになごんだと思ったら、嫁ぁ丁度枕元さ来て、ちゃんと膝まいて、
「只今、俺は浴衣のほころび縫い、襖の陰でしていたった。おらえの呉れてやった妹も語ることもみな分っている。おとっつぁが、言ってたことも分っている。本当におとっつぁには有難いこと教えらっだ。そんで俺は一そう気を付けっから、おとっつぁ、今迄のわるいこともあったべげんど、どうか許して呉(け)ろ」
 と、うんと嫁あねさも、おとっつぁさ願ってあったと。そんで娘さも嫁さも、どっちさも役に立つ御意見をしたという。どーびんと。

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